愛知県名古屋市で認知行動療法を行うメンタルヘルスクリニック
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  • 2014.08.12

    不安障害の症状は“不安症状”ではない?

    Category : ブログ

    <名古屋で医療とカウンセリングをあわせて提供している心療内科クリニックの船山です>

    久しぶりのアップです。

    不安は日常的に誰でも感じているものです。家のドアの施錠確認が1回で終わるのは「絶対に鍵はかかっている、大丈夫」と確信するからではなく、日常的に1回の確認をしているルーチンの中にある行動だからです。不安はよくよく考えると理屈で説き伏せられるように解消するものではないものです。

    しかし、不安によって生活が不自由になると、「本当にそれで大丈夫なのか」「どうしてそうなるのか」と絶対の安心と原因を求め始めます。この心理によって、不安という本来正常かつ必要な心理的な働きが自身を苦しめるようになります。

    不安とは入れ物のようなもので、“不安”自体が病的なものではないと最近強く感じています。ましてやその時に不安があることを示しているに過ぎない “不安症状”(例えば息苦しさ、動悸などの身体症状、パニック症状)自体は病的ではありません。不安は症状になる前から自分の一部だったのです。

     

    「不安の“文脈”を考えて」どのようにしたらよいか…

    これは様々な場合があるように思います。

    いずれにしても不安から距離をとって、生活における“不安の機能”を考える必要がありそうです。

  • 2014.04.15

    鯉のぼりを飾ってみました

    Category : ブログ

    IMG_0056

    <名古屋の心療内科、メンタルヘルスクリニックの船山です>

    すっかり暖かくなって、日中は暑いくらいですね。

    クリニック4階の南側ベランダに鯉のぼりを飾ってみました。

    目印にしていらっしゃってください。

  • 2014.04.05

    不安には“文脈”がある

    Category : ブログ

    <名古屋でカウンセリングを重視した心療内科クリニック、船山メンタルクリニックです>

    不安は恐怖と違って、“これから起こること”への懸念であり、しかも全く偶発的に起こるものへの懸念は“今どのように行動したらよいか”の葛藤を起こさないので、今の状況に関わる何かが“悪い結果につながりそうだ”という予想を含んでいます。

    「顔が赤いから→気が小さい人だと思われる」

    「電車だとすぐに降りられないから→発作で倒れると手遅れになる」

    「この間も仕事がうまく行かなかったから→今度もだめだろう」

    などです。

    つまり不安には、条件文で示されるような“文脈”、“仮説”があります。

    不安の原動力は、危険から逃れようとする欲求ですが、この気持ちがおかしいと思う必要も是正しようとする必要もないのではないでしょうか?

    『不安がいけないものか?』を考えるにあたって、そもそも“不安”という得体の知れないものが自分から独立して存在しているかのような解釈の仕方が間違っているような気がします。

    つまり…“不安という症状は存在しない”のかも知れません。

    不安の扱いに悩み始めた時…「どのような時に→どうなってしまうと恐れるのか」と文脈を考えることは役に立つかも知れません。

     

    それでも「そうしたら不安がなくなるんですか?」とさらに安心を求めようとしてしまうものです。周囲から“安心を与えてもらえる”ことを求め続けても限界があります。なぜなら不安は“自分の頭の中の懸念”から大きくなるのですから。

  • 2014.04.03

    不安について

    Category : ブログ

    <名古屋でカウンセリングを重視した心療内科クリニック、船山メンタルクリニックです>

    不安とは何かについて改めて考えてみようと思います。

    精神医学の一般的な教科書であるカプラン臨床精神医学テキスト(メディカル・サイエンス・インターナショナル社)には「不安と恐怖との違い」が記載されていて、

    「不安(anxiety)は警告を促す信号であり、差し迫った危険を知らせ、人が脅威に対処するための策を講じられるようにする。

    恐怖(fear)も同様の警告信号であるが、不安とは区別しなければならない。恐怖は既知の、外界の、はっきりと限定された、あるいは非葛藤的な脅威に対する反応である。」

    とあります。

    これではどうも日常感覚でわかりにくいので、もうすこし噛み砕いてみると、恐怖とは目の前の脅威に対する主に身体の自動的反応であり、不安とは“脅威が生じる”という危険警報として、実際の危機に先回りして強くなり、危機から逃れるように働くということです。

    つまり例えば暴漢に教われて感じるような命の危険などの「恐怖」があることによって、その「恐怖」の取り扱いに人は困らないのであり、恐怖を感じたら直ちに逃げないといけないのです。

    しかし不安は“不安に対して困る”という状態になり得ます。つまり、「つまらないことを言ってだめな人だと思われたらどうしよう」「電車に乗っている間に動悸の発作がでて倒れてしまったらどうしよう」など、“これから起こりうること”への懸念は “今どのように行動するか”の葛藤を生むのです。

    「人との会話を避けるかどうか」「新幹線に乗らないかどうか」は本人が決めることなのですが、皮肉にも不安によって避けるようになったことは次の場面での不安を強めます。不安は実際に外界に存在する対象に対してではなく、その人の頭の中の懸念が起点となって大きくなっていくので、不安が楽になるための出口がありません。

    それでは不安はいけないもの、病的なものなのでしょうか?

    この点を次回に検討したいと思います。

  • 2014.01.27

    開院から1ヶ月になります

    Category : ブログ

    DSCN1094 2013-12-28 08.16.34 2013-12-21 14.26.58 2013-12-21 14.31.00お正月も過ぎて、もうすぐ2月です。

    ホームページをご覧になってご相談を受けることが増えてきました。

    ページに記載してある”こんな症状でお困りではないですか?”の内容が、皆さんの悩みに合致しているようで、

    お役に立てるのであれば大変うれしいことです。

    特に不安障害の方が多くいらっしゃっている印象です。不安障害は症状の指摘を受けるまで、それが疾患の症状であると気がつかないものです。

    疾患によってはグループでのカウンセリング治療が適していることもあります。

    新しいグループ治療の計画も少しずつ進め始めていますので、お気軽にご相談いただければと思っています。

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